このページは自分が「辛い」と感じるときに
どのような気持ちで過ごすべきかについて
サミュエルスマイルズの名著「自助論」をベースに書いたものです
人生における「辛い時」
人生を長距離走に例える人が居ます。今で言えば日本人の平均寿命は80歳に近くなり、80年間に及ぶ長時間を走り抜けるレースであると言えます。
そんな中で、ずっと良い時ばかり、ということは現実的ではないでしょう。誰でも時には坂道を登り、雨や雪が降って寒い中、あるいは日が照り、耐えられないような暑さの中であっても走り続けねばならない時もあるでしょう。
もし、あなたがそんな中にあったとしたら・・大事なことはなんでしょうか?
そのことについて、サミュエルスマイルズの「自助論」をベースに考えて見たいと思います。
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「辛い時」ってどんな時?
一口に辛い時と言っても、いろいろなパターンがあると思います。
突然困難なことが起こったとか、大きな失敗をしてしまったとか・・・。または信頼していた人に裏切られたとか、借金を背負ってしまったとか。
いろいろなことが考えられると思います。
ですが、その中から共通項を見出すとすると、こういう風に言えるのではないでしょうか?
「自分の明日に希望を持てない時」
こういうときに人は「辛い時」である感じるのではないかと思います。
私の「辛かった時」
私が自分の人生を振り返って辛かった時は、いくつかあるのですが、ここでは28歳〜31歳までに経験したことについて書いて見たいと思います。
当時私は、飲食チェーン店の店舗のコンサルティングをしていました。こちらの記事でも書いたのですが、わずか1年で200店舗一気にオープンしたのですが、オープンしてみると、なんと8割が赤字。私と20人の同僚はお店へ行って業績改善を指導するわけですが、全くやり方がわからない。そして、店舗の店長、オーナーから毎日文句を言われる、というような時期が2年近く続きました。人によってはオーナーに監禁された人もいました。実際に同じチームから何人もの人がストレスから心を病んで脱落していきました。
そんな中でも私は比較的平気でした。
それは、私の中には「希望」が常にあったからです。
「希望」とは何か?
当時私が持っていた「希望」とはなんでしょうか?
いつかこのチェーン店でも立ち上がるという希望でしょうか?
でも、そんな保証はどこにもありませんでした。3年後には8割が黒字になったわけですが、当時そんなことを思っていた同僚は誰もいなかったと思います。
将来どうなるかなんて誰も予測できませんから、それは当然ですよね。
もし、これを読んでいる方が「辛い時」にあったとして、将来どうなるかなんてわかりませんよね。
ですから私も同じようにその時は「将来このチェーン店も立ち上がる」なんて思っていませんでした。
では私が持っていた希望とはなんだったのでしょうか?
それは、こういうことです。
「これは本当に大変な時期だ。何人もの人が辞めていく。最終的には立ち上がらないかもしれないぞ。でも、この困難な時期を通して自分は確実に成長できるはずだ。これが成功しても失敗しても、自分には何かが残るはずだ」
困窮は厳しいけれど最良の教師である
自助論の中の225ページにある言葉です。
自助論は、イギリスが世界最強国家だった1850年代にイギリスで書かれた本で、自助の力、努力や勤勉がイギリスを最強の国にした、つまりそれが大切であるということを説いた本です。
その中で、困難や苦境に対しては以下のような位置付けになっています。
「困窮は、厳しいけれど最良の教師である。逆境に置かれたり苦難を体験したりするのは、考えただけでもゾッとする話だ。だが実際に逆境と向き合うはめになったら勇猛果敢に戦わねばならない。むしろ逆境の中でこそ、我々の力発揮される」
「逆境は、貧困に打ち勝ち障害を乗り越える勇気をあたえてくれる。成功や繁栄のほうが、むしろ人間にとっては危険な罠に隣る場合が多い。」
「困難に直面する必要がなければ、人生はもっと楽になるだろう。だが安逸な人生を送る人間など一文の値打ちもない。苦しい試練こそが人格を鍛えあげ、自助の精神と有意義な自己修養の機会をあたえてくれるのである」
「困難は乗り越える為にある。だから、ただちに困難と取り組め。実践しているうちに、それを克服するうまい方法も見つかるはずだ。」
当時私はこういった言葉を知っていたわけではないのですが、今考えてみるとこれこそ真実だということができると思います。
努力すれば成功するのか?
もちろん、それは、「努力すれば成功する」というような単純な話を意味するわけではありません。
努力したって失敗することはよくありますし、努力しても結果が変わらないということは往々としてあります。
何故ならば、成功とは周りの状況と自分の努力の「掛け算」だからです。
いくら頑張っても周りの状況が悪ければやはりそれは結果としては出ない場合があります。
でも、逆に周りの状況が良くても、努力が全く伴わないのであれば、やはり結果として成功することはほとんどないでしょう。
だから掛け算なのです。
周りの状況✖️努力=結果
こう考えていくと、成功するためには、良い状況に身を置くということと、努力の2つが大事だということがわかります。
そうすると、やはり最小の努力で結果を出したいのが人情ですから、なるべく良い状況に身を置きたくなりますね。
そして、悪い状況で努力をしないということも、一つの方法ではないかとも考えるでしょう。
では、周りの状況が悪い時の努力の意味とはなんでしょうか?
結果に結び付きにくいそれは全く無駄なのでしょうか?
努力の意味とは?
ここに「自助論」の真髄があります。
普通結果に結びつかない努力は無駄だと思いますよね。
ですが、自助論ではそう考えられていません。
何故なら自助論では人生の最高の目的を「結果・成功」には置いていないのです。
自助論の194ページにはこうあります。
「人生の最高の目的は、人格を強く鍛え上げ、可能な限り心身を発展させていくことである。
これこそ唯一の目標でありそれ以外はこのための手段にすぎない」
つまり自分を鍛え上げていくことこそが、人生の唯一の目的であり、結果は問うていないのです。
非常にストイックな考え方ですね。
ですので困難な時こそ、自分を鍛え上げる良いチャンスであり、そこで精一杯努力すべきであるということがこの本の考え方なのです。
自分を鍛え上げたら何を得られるか?
この答えもこの本に書いてあります。
「努力を繰り返せば、力と勇気が湧いてくる。精神や人格はいつの間にか完璧なまでに鍛え上げられ、潔く勇敢な態度が身につき、自分の意のままに行動できるようになるだろう」
「とにかく努力を続けなさい。そうすればいつか必ず自信と力が湧いてくるでしょうから」
つまり、自分をコントロールする力と自信が得られるものなのです。
人はそれぞれの状況に左右され、努力をしても結果を得られるとは限らない。それはまさに状況に左右されるからです。
しかし、どんな状況であっても努力の結果必ず、必ず得られるものがあります。
それは、自信と自分をコントロールする力なのです。
そして、それこそが「希望」なのです。
もし自分を信じることができ、自分をコントロールする力があれば、我々は必ず今より良い状況を選ぶことができるようになります。
何故ならばそういう人物は稀だからです。
そういう人物は周りの人が放っておかないのです。
もしあなたが、他の人に仕事を任せるとして、結果を出しているがどうも運に恵まれているように見える人と、結果は出していないが、その中で誰よりも努力して、自分を磨きあげているように見える人がいて、どちらに仕事を任せたいでしょうか?
今いる状況から抜け出せるかどうかは、その辛い状況の中で、自分に何を得られるかを意識して、努力を続けられる人なのだと私は思います。
そして、その辛い時にどれだけの種を蒔けるかどうかが次につながってくるのです。
ですので、辛い時ほど、それを信じて努力を続けるべきなのです。